ワンダーランド・なぎさ亭

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<<   作成日時 : 2008/06/19 00:45   >>

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 学生時代の同級に、今の言葉でいえばキモいとレッテルを貼られるような男の子がいた。彼とは入学当初のオリエンテーションの時に1度言葉を交わしたことがあるだけで、それ以降は話をしたことがない。どちらかといえば周囲にバリアーを張っているような気がして声を掛けにくかったし、接点がほとんどなく、話をする必然性に迫られることがなかった。今思えば僕の側にも偏った視点が存在し、あえて敬遠しているようなところもあったのかもしれない。彼はクラスコンパのような集まりがあっても出席することはなく、酒の勢いを借りて話しかけるという機会もなかった。

 しかし、1人の女の子はそんな彼にも、おはよう、ときちんと挨拶をしていた。女の子のあいだでは、誰それとは口を利かない方がいいといった話題が頻繁に上るものである。みんなが一歩引く空気が形成されている中、1人堂々と積極的に声を掛ける。彼女にとってはそれが至極あたりまえのことだったのだが、その光景を見て、僕はとても眩しく感じた。

 少し前に女の子の名前について考察した雑文を書いたが(http://nagisatei.at.webry.info/200805/article_4.html参照)、その中に愛ちゃんという女の子のことに触れている。両親に先見の明があったというか名前に託した名前が通じたというか、誰にでも愛情のこもった温かい眼差しを注ぐことのできる女の子だった……といった内容の文章を書き記し、むしろ僕の方が特別な愛を注ぎ込んでいたかのごとき誤解を与えそうだが、冒頭に書いた、今の言葉でいえばキモいと定義される男の子にも親切だった女の子こそが、その愛ちゃんである。彼女のフラットで公正なポジションを忘れない姿には、永世中立の独立国家的な佇まいがあった。とはいっても気は強いほうだったし、そこそこの美人でもある。スイスのように牧歌的なというよりは洗練された都会的な女の子が個性的な魅力を発する場合、群れていないと即座にアイデンティティーを失うような女の子たちは癇に障るものである。愛ちゃんは必ずしも同性には好かれていなかった。彼女が幹事になってボウリング大会なんかを企画すると、

 「出しゃばりなんだから」

 という陰口が聞かれたものである。国連のようなまとめ役は向いていなかったのかもしれない。一色に染まりたがる小うるさい集団を相手にすると融合しづらいタイプだったのはたしかである。

 愛ちゃんは中型二輪の免許を持っていて、晴れた日にはバイクに乗って登校してくることがあった。颯爽として、カッコよかった。公正な人であったから、僕にも当然のように温かく接してくれた。当時僕の部屋はみんなの溜まり場みたいになっていて、いい奴なんだけどなかなか彼女ができず、明るく笑い飛ばしてはいても心の片隅ではのたうちまわるくらいに悶々としている男どもが、やたらと集っていた。彼らの分の夕食を作りながら、

 「おまえら、しょっちゅう俺んちに来すぎやねん。ほかに行くとこないんか」

 と文句を言ったこともあったが、愛ちゃんはそういう僕らの世界にも興味を示し、ゲスト的な存在として顔を出していた。土曜日の1講目に必須の英語が組まれていて、授業が終わったあと、僕ら野郎どもがどやどやと固まって学生食堂でランチタイムを過ごす時も愛ちゃんはごく自然に同じテーブルにやってきた。

 土曜日のランチに愛ちゃんとともに僕らに加わるのが、めぐみという名前の女の子だった。この名前の女の子の多くがそうであるように、めぐちゃん、とみんなから呼ばれていた。このめぐちゃんがオオクワガタ級の、つまりちょっと探索したぐらいでは絶対に見つからないくらいの天真爛漫な性格だった。突拍子のない行動や言動にはずいぶんと笑わされたものである。電車の中で出くわして、つり革に掴まっている立ち客があいだに大勢いるのに、

 「めぐねえ、今日ねー、あのねー……」

 と彼女が向かいの席にいる僕に今日の出来事を大声で話しはじめた時は、こっちの方が恥ずかしくなってしまった。土曜朝一番の英語の授業にこれ以上欠席すると単位が危ないから、と学校のすぐ近くに部屋を借りていた僕のところへ泊まりに来たりもした。2人きりになるとどういうわけかすぐに話題が尽きてしまい、その場しのぎに本を読む僕のシャツの袖をひっぱっては、

 「ねえ、遊ぼうよー」

 と言い出す。変な気など起こすべくもなかったが、とにかく一緒にいると楽しい女の子だった。

 カッコいい愛ちゃんと天真爛漫なめぐちゃん。彼女たちが親友だったのはちょっと不思議な気がするが、今ふりかえると2人は公正さというキーワードで結ばれていたのだと思う。タイプは違うが、2人とも何者にも邪魔されない独自の感性で人や物を見ていた。めぐちゃんの方はネガティヴなものがまったく目に入らない特殊なフィルターが網膜に仕込まれているのではないかと思うくらい、邪気というものがなかった。それに比すると愛ちゃんは、強さを源にしたやさしさであったように思う。いずれにせよ、冷淡な態度とは無縁の2人であった。

 魅力のある2人だったけれども、彼女たちのような女の子が恋愛の対象になるかというと、これは難しいものがあると思う。当時惚れっぽいことで有名だった僕がゲートを突き破っていくことがなかったのは、彼女たちの友好的な親愛の情をそっくりそのままお返しすることで精一杯だったからだろう。そして、それだけで十分に満足していた。机の引き出しの奥からひょっこり出てきた2人の写真を見ながら当時の自分の心理を推理したが、おそらくはそうした穏やかなものであったろうと思うのだ。恋愛感情ではない最大限の思い……そういうものも、まれには存在する。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 おはようございます。
 “恋愛感情ではない最大限の思い”・・・、濃っす(^^;)。結婚して子供が産まれて40代も後半に差し掛かって、最近ようやく辿り着いたかなあって感じですかねえ。若い頃、そんな関係の女性友達が欲しかったなあ。「ねえ、なんで俺たち、恋人同士にならなかったんだろう?」「さあ、なんでだろうねえ」って、そんな会話を40代の頃に交わせるような女性友達、今はただただ夢想するしかありません(苦笑)。
ウルトランナー
2008/06/20 06:33
 ウルトランナーさん、コメントありがとうございます。
 ウルトランナーさんによると恋愛論(?)も「ワンダーランド・なぎさ亭」のテーマのひとつであるらしいので、あえてこの一文をUPしてみました。
 こういう気持ちになれる人とはなかなかめぐりあわないものです。今彼女たちと会うと、おそらく「なんでつきあわなかったのか」という話も出ないと思われます。そんな気持ちすら起こらなかったというのが真相なのですよ。この子たちにも特定の人がいたらしいのですが、男の気配を漂わせることがまるでなく、2人にアタックする男もまわりにはいませんでした。そういうのをまのあたりにしていれば「俺も一丁いったろか!」という気分になったかもしれません。そのあたりを考慮すると、恋愛感情というのは人によって程度の差こそあれ、幾分かは歪んだ感情であるといえるのではないでしょうか? 歪んでいるからこそ、独占欲が表に出たり、異常なほど嫉妬深い人がいたりするのだと思います。
なぎさ
2008/06/21 00:33

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