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拙ブログの雑文「女の子の名前について」(http://nagisatei.at.webry.info/200805/article_4.html参照)や「愛とめぐみ」(http://nagisatei.at.webry.info/200806/article_14.html参照)にちらっと書き著した“群れたがる人々”、“群れていないと気が済まない人々”は最近の僕にとって関心の深い研究対象(という表現はちょっと大げさだけれども)である。この人たちに個人としての考えを大切にしない傾向があるのは言わずもがな。ここに新たに発見した特徴を書いてみたい。 それは“他虐ネタ”を使うということ。 この一文だけではわかりにくいと思う。 “自虐ネタ”というのがある。ヒロシというお笑い芸人の芸風だが、彼は自分が失敗したこと、自分が淋しい状況に置かれた状態を自虐的に語って笑いを誘っている。 他虐ネタはそれが他人に向けられたものと解釈すればいい。たとえば、人の集まるところにおいて、なんとなく自分がひとりぼっちであるように感じたことを別の場所で語る時に、 「私、嫌われてるのかな?」 と言うのは自虐ネタ。反対に他人に対して、 「嫌われてるんじゃない?」 というツッコミは他虐ネタといえる。こういうのは非常に文章として書きにくく、正確に書こうとすると小数点以下の数字が延々と続く√2のようなものだが、他人のバツの悪いシーンを指摘するのがやたら得意な人はどこにでもいる。いちいちあげつらう必要はないし、どうあろうと人間らしく生きていればそれでいいじゃないか、と僕などは思うのだけれども、放っておけない人も結構多いのだ。そんなだから、本来どのようなスタンスであってもいいはずの場所においても、彼らは誰かが1人でいるのを見つけると淋しい人と断定して、あれこれ言いたがる。 自分はネガティヴなものを見ても平気だと強がっているのかもしれない。しかし、その一元的すぎる言いまわしには引っかかるものがある。ひょっとしたら、そんな連中が集まっている場所においては、浮いてしまったり嫌われていることの方が至極まっとうであることも十分にありうる。この世界はとても不確実であることを忘れてはならない。 切実なのは子供たちの世界である。昼休みに1人でお弁当を食べていると、それだけで友達のいない子とレッテルを貼られ、いじめの標的にされることすらある。だから誰かと絶えずつながっていなくちゃならない……。なんと強迫的で息苦しい世界だろうか。こういう話を聞くと、義務教育を廃止して家庭教師制度を国家的に推進してはどうか、といった荒唐無稽なことすら考えてしまう。冗談はともかくも、見逃せないのは、大人の世界に存在するおかしな側面が子供たちの中にもっと極端な形で現われているということである。 温かい人に囲まれて快活な毎日を過ごすことができればどんなに幸せか、と誰しもが思う。反対に、1人でいられる場所というのも落ち着くものである。学校という閉ざされた空間に1人でいられる環境を作り、しち面倒な枠組みやシステムをすべて廃止してこそ教育改革なのではないか、と僕は考える。そうすれば教師や生徒のストレスはずいぶんと軽減されるはずである。そんなん、ほんまはわかってるやろ?とシニカルな笑いとともに詰問したくなるが、この部分にはおそらく手をつけてこないだろう。そういう環境ができあがると、子供たちは早いうちから独立した個人となって本来的な人権意識や権利意識に目覚め、結局はこの国にとってはなはだ都合が悪いからである。 |
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子どもの社会は大人社会の縮図なんでしょうね。群を作るのは、人の本能に近い部分なのかもしれません。 |
りおん 2008/07/02 12:57 |
りおんさん、コメントありがとうございます。 |
なぎさ 2008/07/02 23:43 |
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