ワンダーランド・なぎさ亭

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help リーダーに追加 RSS ボーイズラブ小説は青少年に有害なのか

<<   作成日時 : 2008/11/26 00:34   >>

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画像 大阪の堺市の公立図書館にあるボーイズラブ小説が青少年に有害だとして物議を醸している。その図書館には50冊以上もボーイズラブ小説を所蔵しているのだそうだ。一定のファンが存在するジャンルだから貸し出し実績を上げるのに手っ取り早い、そうした判断から購入したのだろうか。

 だったらどうなる式の引き合いの出し方で申し訳ないのだけれど、スポーツ新聞はいかがなもんであろう。昔つきあっていた女の子がスポーツ新聞の入社試験と面接を受けに行った時、一緒に面接を受けた女子学生が面接官に何か質問はありませんかと訊かれて、

 「スポーツ新聞にはどうしてピンク記事があるのですか」

 と質問したのだそうだ。考えてみればスポーツとエロは何の関係もない。スポーツは大人の男の娯楽だからエロ記事があれば喜ばれるという理屈は現代においては通らないだろう。僕が中学1年か2年の頃、ファンだった阪神が劇的な勝ち方をした翌日に父親が、読むか、と言って通勤途中に買ったスポーツ新聞を持って帰ってきてくれたことがある。ところがピンク面はきれいに破り取られていた。父親なりの“教育的配慮”だったのだろうが、自室でじっくり堪能しようと思っていた僕は落胆するような、それでいて親子のあいだに存在する厳然たるタブーと心遣いを感じるような、とにかく複雑な気持ちになった記憶がある。図書館の新聞ラックにスポーツ新聞を置いているところは多い。小学生や中学生だってスポーツ好きの子供はスポーツ新聞を読みたいと思うことがあるはずだ。それに対して青少年保護の立場からピンク面をどうにかせよという声が湧き起こらないのは、それがいらぬお節介だとはわかっていてもちょっと不思議である。また電車内の男性向け週刊誌の中吊り広告もよく見るとずいぶん煽情的である。あれだって青少年の目に触れている。この国では商業ベースに乗って1度受け入れられたことに対しては、実害が出ない限り、鈍感と思えるほどに寛容な面も同居しているともいえよう。

 話をボーイズラブ小説に戻す。江戸時代の好色家に、現代でいうバイセクシャルがいたことは井原西鶴の作品を見ても明らかである。ならば西鶴もけしからんということにならないか。西鶴を読む青少年なんてめったにいないだろうけど、手に取りやすいところで、たとえば主人公の男が黒人男性に弄ばれる村上龍の「限りなく透明に近いブルー」は絶対アウトだろうなァ。また今は、インターネットという文明の利器があるから、中高生は視覚に訴える直裁的な映像、画像の方に親しんでいるに違いない。俺らが“モロ”を拝むのにはかなりの労力を必要としたんだぞ、と首根っこをひっ捕まえて言ってやりたくなる。あの頃は“つて”や勇気がなければ見たいものが見られない時代だった。ボーイズラブ小説には挿絵があってそれが問題になってもいるのだが、いずれにせよそれほど過激なものでもない。刺激物がそこらじゅうに転がっている現在、もしボーイズラブ小説に悪影響を受けた子供がいるのなら、僕はその子供に読書力検定4級の認定書を差し上げたいくらいだ。

 学生時代の親友にYという奴がいた。こいつは僕がこれまで生涯出会った中で最強の下ネタ大魔王だった。彼の名誉のために断っておくと、「私のハートはストップモーション」という曲をヒットさせた桑江知子のことを“チ○ポ桑江知子”と言って嬉々としていたのだから、どちらかといえば20歳を過ぎても中学生レベルの下ネタに磨きをかけまくるといったタイプで去勢手術が必要な危険人物では決してなかった(こいつのことでふとした拍子に思い出し笑いをしてしまうことが今でもある)。Yはなかなかの読書家でもあり、純文学でもっともヌケる作品は三島由紀夫の「憂国」であると力説していた。

 今の若い人たちは「憂国」どころか官能小説で知られるフランス書院文庫の数多のシリーズにもムラムラさせられることはないと思う。20年近く前、女の子の中にもごく少数ではあるが(って1人だけですが)宇能鴻一郎のことを“宇能ちゃん”と呼んで愛読している子がいた。これらはすべて過去の遺物だろう。ボーイズラブ小説は青少年に悪影響を与える云々はもはや意味のない論議では?と思うのだが。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
堺、与謝野晶子縁の地ですね。そこでこうした論議があるのは興味深いです。

近頃図書館は、イメージが柔らかく、敷居もとても低くなったと思います。お陰で、私も気軽に利用しています。
書物が今より価値の高かった時代は、図書館に置かれている本は、万人に普遍的な価値ありと知識人に認められたものだけだったように思います。予算にも相当制約があり、購入に当たっては今とは比較にならない程厳選したことでしょう。
そんな記憶が残っている方からすれば、税金使ってわざわざ揃えるような本か?!と拍子抜けするようなものもあるのではないでしょうか。
雑誌や新聞、旅行ガイド、IT関係の書物など、ごく旬な時しか利用価値のないものは各人で買うべしと私は日頃から思っているのですが、これもごく個人的な尺度でしょう。

でも普遍的な価値がある書物・良書というのを定義するのは難しいですね。名作も発表当時は評価されていなかったり、Yさんのような方もいらっしゃるとなると??
今回の記事を読み、図書館もテーマ、コンセプトを決めて、運営していく時代なのかなと思いました。
堺の図書館は、若い女の子もいらっしゃい!・・とか?
りおん
2008/11/29 01:39
 りおんさん、コメントありがとうございます
 そういえば図書購入費は税金だったんですよね。となると多少問題ではありますが、財政逼迫の大阪、図書館の統廃合が検討されています。貸し出し実績を作りたいという思いがあるでしょう。
 たまに利用する身として感じることは、図書館は調べものをするのにはあまり有効でないということ。役に立つ書物が少ないのです。インターネットで検索して参考図書の目星をつけて……図書館にないものは購入する、といったやり方の方がはるかに効率的だったりします。
なぎさ
2008/11/29 21:14

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