ワンダーランド・なぎさ亭

アクセスカウンタ

zoom RSS 騙されたい!

<<   作成日時 : 2016/06/17 21:30   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像 Womans Newsというウェブサイトに「昭和歌謡が平成女子の心に響くワケ」というコラムがあった。かつて共有されていた価値観が多様化していく状況を世相と絡めて著す筆致がふるう、好コラムである。筆者の鈴木かつよしさんは、昭和40年代以降の曲は古臭さを感じさせずに耳へ馴染むというベースがあり、そこでうたわれている言葉の美しさに惹かれる若い人が少なくない、と書いていた。

 平成の世からふりかえると、演歌やポップス、アイドルやニューミュージックもみんな昭和歌謡になる。通販番組で売られている昭和歌謡のオムニバスCDに収められたラインアップを見てもそんな感じで、信念を持つ人はこのことに抵抗感を覚えるかもしれない。しかし、歌詞の美しさや溢れる詩情という点で考えた場合、オールジャンルを昭和歌謡としてひと括りにしてもいいと思う。たとえば、演歌なんてダサイと常日頃思っている人でも、石川さゆり(以下も敬称略)の『天城越え』や八代亜紀の『舟唄』にシビれる人は多いはずだ。また、詞の美しさもさることながら、この時代にはアレンジの優れた曲が多かった。ジュディ・オングの『魅せられて』は作品の舞台となっているエーゲ海へ、久保田早紀の『異邦人』は同じくシルクロードへ旅した気分になり、クリスタルキングの『大都会』は都会の喧騒の裏側にある寂寞とした情景がありありと浮かんでくるといった具合に、アレンジに輝きと力強さがあった。

 フォーク・クルセイダーズやサディスティック・ミカ・バンドで活躍、北山修とのデュエットで出した『あの素晴らしい愛をもう一度』で有名な故・加藤和彦が「ワーキングカップル事情」(先に亡くなった妻、安井かずみとの共著。新潮文庫、絶版)で、以下のように記していた。

 〈日本語は(中略)一定の音に対してわずかな言葉しか乗せられないという難点もある。英語で「アイ・ラブ・ユー」と歌う間に、日本語では「わ・た・し」くらいしか歌えないのだ。〉

 加藤は、日本語に合うのはやはり演歌だろうと書いていた。演歌以外のジャンルで日本語を音に乗せるのは難しい。ここで問われるのは、俳句や短歌を作るのに通じたセンスだと思う。西洋系言語よりも少ない情報量しかない中、メロディーに合致する言葉を探索しながらストーリーを作っていく。詞が先で曲があとという場合でも、そのあたりの計算が必要だ。すると、演歌以外のジャンルで日本語がしっくりくる曲調はいくつかのパターンに限られてくる。日本のロックバンドのアルバムに含まれるバラードの曲数が海外アーティストにくらべて多いのも、おそらくはそういう理由であろう。日本人のバラード好きは、日本語がぴったり嵌まりやすいからだと考える。

 たまにユーチューブで、僕が生まれる前から小中学校時代にあたる、昭和40年代から50年代の曲を聴く。そのとき、平成生まれの若い人がコメント欄に「このころの曲が好きです」と書いているのを見るたび、無性にうれしくなると同時に、書き込んだ人に魅力を覚える。それは、コメントを書いた人が言葉を大切にする人に違いないからである。

 僕は「昔のほうがよかった」式の思考にとらわれまいと努めている。新しいものを吸収する力が削がれてしまうことを警戒するのだ。J−POPに対しても同じ姿勢で臨みたいのだが、新進アーティストの新しいCDを買った直近は、2005年まで遡らなければならない。ちっとも直近ではなく、消費行動からいえば、新しいものを完全に拒否しているようにしか見えないだろう。でも、言葉の大切さが損なわれていると感じる――という確たる理由がある以上、引け目を覚えることもないと思っている。第一、現代の曲は、1回聴いただけでは歌詞がよく聴き取れないことが多い。それは、メロディーに日本語が乗っていないからにほかならない。

 正直、1990年代に入ったころ、僕はすでに違和感を持っていた。通信カラオケの普及により、時はカラオケ全盛時代。いい曲ももちろんあったが、特別にいいとは思わないヒット曲をカラオケのために覚えるのが苦痛になってきたのだ。言葉の退廃が顕著になったのは、この時代である。




 ここでは女性アイドルに焦点を当てたい。冒頭に紹介した「昭和歌謡が平成女子の心に響くワケ」で取り上げられている、あべ静江の『みずいろの手紙』はアイドル歌謡を象徴する曲だ。♪会えなくなってふた月 過ぎてなおさら募る恋心……美女にきれいな言葉をうたわせる。かつての女性アイドルはそれがすべてだったと思う。僕は小学生のころ、松田聖子が好きで、彼女の曲の中で『風立ちぬ』をもっとも気に入っていた。『風立ちぬ』をテレビでうたうとき、松田聖子は♪帰りたい 帰れない あなたの胸に〜の部分で必ず半べそをかいた。そして最後、♪今日から私は 心の旅人〜のところでニコッと笑う。この豹変が、彼女が“ブリッ子”と揶揄された要因ではあったが、当時の映像を今見るたびにつくづく思う。役者やのう、と。

 ちなみに男のアイドルのほうは、ファンの女の子に向かって“君”と呼びかける、もっとダイレクトな詞が主流だった。この違いは興味深い。また、清楚な詞をうたう歌手だけではなく、金井克子や夏木マリみたいな悩殺路線が存在したし、山口百恵や中森明菜は不良をうたってもいた。後者の2人は印象深く、山口百恵は『プレイバックPART2』のような不良と『秋桜』や『いい日旅立ち』みたいな淑女の両方がさまになる歌手だった。『十戒』と『セカンドラブ』における不良と清純、両極端の女の子をうたい分けることができた中森明菜も同様である。そのレベルへ達したときにアイドルはアーティストへ昇華する、と僕は思う。

 しかし、中森明菜が全盛期を迎えた1985年、新たなうねりが押し寄せてきた。おニャン子クラブが『セーラー服を脱がさないで』を引っさげて登場したのである。平日夕方、フジテレビ系で放送されていた「夕やけニャンニャン」にレギュラー出演していた彼女たちは、多人数アイドルユニットの先駆けだった。秋元康の巧みなプロデュースもあって瞬く間に人気者となり、アイドルの既成概念を打ち破ったおニャン子クラブは、美女に詩情豊かな言葉をうたわせて男どもの幻想をふくらませる手法をあまり採らず、どこの学校にもいそうな、ルックスでいえば中の上といったところにいる女の子の等身大の姿をうたった。

 おニャン子クラブがAKB48の源流であることはいうまでもない。AKB総選挙の投票券をパッケージすることによってCDを大量に売り上げるなど、現在、売り出しの手口はさらに巧妙化している。ただ、AKB48のもう1つのセールスポイント、恋愛禁止令の施行については、セックスが禁止されているわけではないという抜け道をくぐっている面がなきにしもあらずで、ブランド化に大きく貢献しているとは思えない。また、主だったヒット曲だけで断定するのはアンフェアかもしれないが、おニャン子と同様、AKB48がうたう歌詞の内容も美しくない。秋元康が「キャンディーズがいたからおニャン子もAKBも存在することができた」みたいなことを言っているのを何かで読んだ記憶があるけれど、以下のように言い換えることも可能であろう。「キャンディーズと、その時代のアイドルに共通する文化を、おニャン子とAKBが破壊した」と。

 誰しも腹黒い部分や狡さを心の内に持っている。顔を突き合わせての直接対話の中でそうした面を垣間見たとき、僕たちは程度によってそれら美しくない面を許し、つき合いを継続していくということを日常的にこなしながら暮らしている。今のアイドルファンは、決して美しいとはいえない言葉とそれ相応の心情をうたうアイドルたちに対して、無意識的にこの作業をしているのかもしれない。会いに行けるというコンセプトであれば、彼女たちを至近距離で見たり、握手をすることによって“疑似直接対話”になるのは、それほど難しいことではないような気がする。

 でも僕は、それは物足りない、と思う。美女がうたう珠玉の言葉に陶酔したいのだ。このあいだも岡田奈々の『青春の坂道』を聴いて心からときめき、この感覚に陥らせてくれる人がいない、と嘆息した。

 実像が歌詞のイメージと違っていたってかまわない。むしろ、喜んで騙されたいとさえ思っている。ものの見事に騙されたら、それはそれで気持ちがいい。関係を持った男性アイドルが同じ事務所の後輩に「あんな女、すぐにヤッたよ」と洩らしたという逸話がある女性アイドルが、のちに“あんな女扱い”していた当人と結婚、現在はおしどり夫婦として知られているとか、某女性アイドルはウンコをしないという幻想を抱かせるどころか当時つき合っていた男のウンコを食べていた――という話を聞いて笑い飛ばすくらいの余裕は、僕も持っているつもりである。




付記1 最後に書いた話はあくまで噂である。

付記2 NHK連ドラの主題歌になったAKB48の『365日の紙飛行機』は悪くなかったが、冒頭部分を聴くたびに引っかかりを覚えた。こういうフォーク調の曲は今風にノドを作って歌ったらあかんねん、と。

付記3 多人数アイドルユニットの恋愛禁止令は必要なのだろうか。本文で少し触れたけれど、セックス禁止令にしないと意味がないと思う。で、メンバーの膣内2センチくらいの所にセンサーを装着し、異物が通過するとプロダクションに設置した管理コンピューターの警報装置が鳴る、というシステムを作ってみてはいかがか。もちろんGPS付きで位置情報も特定できるようにする。ハッカーも侵入しがいがあるだろう。ただ、それでも抜け道はあって、肛門を使用する手がある。だからといって、アナルセックス対策として肛門にまで異物通過センサーをつけると、チンコだけなくウンコにも反応して警報装置が鳴ってしまう。これにはアイドルも羞恥心が我慢の限界を超えるに違いない。以下は、フーゾク好きの知人に聞いた話。「オナラをしたくなったら我慢せずにぶっ放してくれ。俺、女の子のオナラの音を聞いたことがないねん」とフーゾク嬢にお願いしても、必ず「イヤ。絶対我慢する」と返ってくるのだそうだ。ある女の子など、スッポンポンでソファに凭れて立膝、アソコが丸見えの姿でそう答えたという。どうやら女性は、セックスよりもウンコが絡む場合のほうがはるかに恥ずかしさを覚えるようだ。

付記4 僕は昔の日本映画を観るのがわりと好きだ。で、それらを観ていると、人気が出るヒロイン女優というのはタイプがだいたい決まっていて、現在まで連綿と受け継がれていることに気づく。西内まりやを初めて見たとき、この人は王道にいる人だと思った。シンガーソングライターとしても活躍している西内まりやに対し、どうか俺を騙してくれ、と願っている。でも、そういう人をたまに発見しても、なかなか巧妙な詐欺師になってくれない。

にほんブログ村 その他スポーツブログ ラグビーへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
騙されたい! ワンダーランド・なぎさ亭/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる