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zoom RSS 未来のスタジアムを考えるにも好適な本〜「2020狂騒の東京オリンピック」(吉野次郎著・日経BP社)

<<   作成日時 : 2016/06/22 21:30   >>

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画像 僕は市場原理主義の過度な拡大に警戒心を抱いていて、一定の枠内にとどめておくべきだと考えている人間である。具体例を挙げれば、年間3万匹もの犬や猫が殺処分されている事実によってペット産業は“倫理的に”破綻している、と思う。また、どこもかしこも全国展開のチェーン店で溢れ返っている状況は、雇用を促進しているという意見もあろうが、大方は半ばブラック化した就業形態であり、売上が本社へ流れていくことを考慮すると、地域経済という点では貢献よりもマイナス要素のほうが大きい気がしてならず、同時に巧みな宣伝で自らをブランド化して客を誘導する動きに、暴力性すら感じる。少し前にスターバックスが国内で唯一、店舗を持たなかった県、鳥取へ進出したことが話題になったが、これなんかも当地のコーヒー代を中央へ収奪する侵略者が現われただけのこと。メディアは、鳥取にスタバがやっとできたとおめでたい話題のごとく報じる中に、当地を辺境扱いする揶揄を含ませていたけれども、こうした報道はまったく浅はかとしかいいようがない。

 しかし、スポーツ界の話になると、いささか様相が異なる。「2020狂騒の東京オリンピック―稼がなければ、メダルは獲れない!」の著者、吉野次郎(敬称略。以下も同じ)は、この本の中で以下のように記す。

 〈民間資金が主導する産業に変わらねば、アスリートたちが不幸だ。解決法は単純で、スポーツ界にいる一人ひとりが経済原則に基づいて行動すればいいだけだ。スポーツを通じて得られる経済的対価を最大化することこそ正しい。ほかの産業では、わざわざ口にするのもはばかられるほど、当たり前のことである。〉

 こういう考え方をする人の視点を取り入れなければ、日本のスポーツ界が今以上の繁栄を迎えるのは難しい。本書には、そう思わせるだけの説得力あるルポが列挙されている。

 昨年、新国立競技場を五輪後、野球場へ改修し、読売ジャイアンツが本拠地として使用する案が報じられた。積極的にこの案を推進して動いたのは衆議院議員の後藤田正純だったが、これを聞いた僕は渡りに船だと思った。負の遺産になる事態を避けられる。ところが、吉野の取材に対する遠藤利明・五輪担当大臣の回答は以下の通りだった。

 「後藤田の案はさすがに無理。国民の税金で造るナショナルスタジアムを巨人の本拠地にできますか? 国立は陸上の聖地であり、サッカーとラグビーの国際大会などにも使うために建てます。それを巨人に優先的に使わせることは、恐らく国民が許しません」

 僕は巨人を仇敵と見做す阪神ファンだが、全然かまわないと思った。オリンピックのために建設した大陸上競技場をそのまま残せば確実に負の遺産になることを、海外の例で知っていたからである。おまけに、Jリーグの特定チームの本拠地にもさせない、という。これでどうやって利益を上げるのか。公共財に当てる建設費としては高額すぎて、割に合わない。巨人のために税金が使われるからダメというのは、このケースに関しては、誰にとってもプラスにならない、誤った平等意識だと僕は思う。足元を掬われないように注意しないといけない。余談になるが、同様の誤った平等意識の例として、太陽光パネルで発電した一般家庭の電気を電力会社へ売る制度に反対する人が言った「格差の拡大を招く」という意見が挙げられる。だったら、それより先に、太陽光パネルを置けるか置けないかの格差に目を向けなさい、という話である。「木を見て森を見ない」考えとは、こういう意見のことをさす。

 アメリカで野球場やフットボール場の大スタジアムを新たに建設する場合、自治体が賄った分の債務にはホテル税やレンタカー税といった観光税を当て、市民に負担がかからないようにするのが一般的だ。そのうえで、スタジアムを運営する側は徹底的に集客努力をして地域経済に貢献し、めぐりめぐって市民スポーツに還元する仕組みを作っている。ところが日本の場合は、交通の便がきわめて悪い場所に運動公園という名のスポーツ・コンプレックスを建設する動きが連綿と続いていて、そこを本拠地とするJリーグのチームは案の定、集客に苦しんでいる。本書では大分トリニータのホーム、大分銀行ドームと、徳島ヴォルティスのホームである鳴門のポカリスエットスタジアム、そしてベガルタ仙台に見捨てられた宮城ひとめぼれスタジアムの例が紹介されている。

 とりわけ、宮城のケースは糾弾に値するといっていいだろう。2003年サッカーW杯日韓大会のために270億円の巨費を投じて建設されたスタジアムだが、最寄りの利府駅から徒歩で約1時間かかる。道路は1本道で渋滞し、マイカーもシャトルバスも不便を強いられるアクセスの悪さが致命的な不人気を招いた(おまけに、サッカーの試合がきわめて見づらい陸上競技場として知られる)。ハコの大きさに見合ったイベントといえば、数年に1度の割合で企画されるジャニーズ系歌手のコンサートくらいで、あとはガラガラのスタンドを背景に、1時間数千円の使用料で学生による陸上大会が開催されるか、大人が220円、高校生が110円の料金で陸上の練習をしているといった具合だ。そんな施設ならもっと小規模なものを安く作ればいい、と誰しも思うだろう。建設計画推進者はW杯が終わったあとのことを深く考えていなかったのである。

 本書では、スポーツ界に経済感覚が欠如している原因を、歴史的文脈に求めている。そのおかげで、読者は日本のスポーツ界にどっかりと根を下ろした前時代的なアマチュアリズム思想を体系的につかむことができるようになっている(アマチュアという言葉が、実はエリートと労働者階級を分ける差別思想から始まったことを押さえているのもいい。これはスポーツに接する者の一般常識だ。なぜ、学校体育でこれくらいのことすら教えないのか)。その点でも一読の価値ありだが、ここまで僕がスタジアムについて記したように、専用スタジアムの建設を声高に唱えるサッカーファンにとって、未来のスタジアム像を考える格好のとっかかりになる本だと確信する。Jリーグの人気が頭打ち傾向にあるのは、アクセスが悪くて魅力のないスタジアムをホームとするチームの多さが一因に挙げられる。不便を厭わずにスタジアムへ足を運ぶ求道者型ファンの数の伸びには限界があり、新たなファンを獲得したいのなら、アクセスのいい場所へスタジアムを建設し、同時にスタジアムを魅力あるものとすることを第一の改善点にしなければならない。ネットで検索すると、専用スタジアムの建設に関し、とくにSNSなんかでは感情的な言葉を書きつけているだけという人が多いけれども、なぜスタジアムが押しなべて不便な場所にあるのか――答えを端的に述べると、教育行政に携わる者や文教族がスポーツ行政を司った結果、プロチームが興行で使うことなど、まったく考慮していなかったから――というところから本書を通じて学び、得た知見をもとに今後の在り方を考えるという作業をすれば、素晴らしいサポーターになれると思う。

 日本がスポーツにおいて、まだ後進国の地に甘んじているのは、可能性を秘めるにもかかわらず、スポーツを産業として振興させるという観念が不足しているからである。昨今、スポーツビジネスという言葉をよく耳にするようにはなったが、官民一体となって収益を上げ、地域経済へ貢献するとともに、利益を現在と未来のアスリート、さらには市民へ還元する大局的なサイクルの実現を目指す動きはまだ歩みが鈍い。僕はスポーツを文化にするということを強く意識しているタイプだけれども、文化足りえるのも積極的な振興策があってこそだと思う。スポーツは、経済原則と文化という、ともすれば対立しがちな2つの要素が両立しうる分野である。本書を読めば、それが夢物語でないことが理解できよう。




付記1 先日、「東京五輪よ、どこへ行く」というエッセイを書いた。その後、さらに考察を深めるために、本書と『オリンピック経済幻想論〜2020年東京五輪で日本が失うもの〜』(アンドリュー・ジンバリスト 著/田端優 訳 ブックマン社)、『〈オリンピック遺産の社会学〉長野オリンピックとその後の十年』を読んだ。僕の考えを率直にいえば、今のところ、2020年東京五輪後の見通しは暗い。利益が期間も範囲も限定的であるにもかかわらず、繁栄や成長という耳障りのいい言葉を表に掲げる欺瞞が横行するばかりで、今のやり方では投資の見返りが少なすぎるのだ。前回の東京大会、1964年の夢よもう1度と、現在の閉塞感が打破されることを期待するのは短絡的である。1964年は特殊な時代で、当時の状況からいって、仮にオリンピックが東京で開かれなくても高度経済成長は成し遂げられたと思う。完成時期こそ遅れたかもしれないが、絶対的ニーズがあった東海道新幹線や首都高速道路といったインフラも整備されていたはずだ。

付記2 「(仮)茂里町スタジアム建設プロジェクト」は長崎の浦上駅から徒歩圏内に新しくスタジアムを造ろうというもの。ウェブサイトに掲げられた理念には確固たるものがあり、未来への可能性を感じる。また、企業やサポーターからの寄付金で建設費を賄ったことが話題になった吹田市立サッカースタジアムは、スタジアムこそ文句なしだが、輸送力の脆弱なモノレールが主要アクセスになっている点が不評を買っている。試合終了後、乗車までに1時間以上も待たされるケースがあるという。茨木行きだけでなく、地下鉄御堂筋線の千里中央駅行きのシャトルバスもガンガン走らせなければならない。帰りはJR東海道線の千里丘駅まで徒歩30分から35分の道のりを歩くのがもっとも快適という意見さえあり、いろいろと改善が必要なようだ。現在、専用スタジアム建設をめぐる議論がもっとも活発なのは広島で、どこへ作るかで官民(自治体とサンフレッチェ及びサポーター)が対立しているが、官側のアイデア、港湾部にある宇品に建設する案は路面電車とバスのみという脆弱な公共交通アクセスや周辺道路の混雑を考えると、高規格鉄道を新たに建設しない限りは悪案である。場所をいうなら旧広島市民球場跡がベターなのだが……。

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